私たちが失敗するきっかけは何だろうと思うといつも自分を止めるものは間違いなく自分の中にいる臆病な私。
何かを継続するものよりも、より刺激的なものを求めているのが心。
淡くて緩やかな幸福よりも、何か危険なこと・苦しいことのほうが刺激は強く、心は希望とはうらはらに、そちらのほうに傾いてゆく。
そしてその刺激の振幅は増幅し続けるため、心はもう自らを止めることはできない。
私が大切にしている言葉である、
私たちはアクセルを踏みながら同時にブレーキを踏み続けている
多くの人は大なり小なり夢を持っている。しかし、それを自分の周りの人のために諦めるという決断をしているのかもしれない。
アクセルを踏んでいる状態で、まだ前に進めないという人に会うと必ずこの言葉を伝える。
しなければいけないのは、さらにアクセルを踏み込むことではなくて、ブレーキを踏んでいる足をはずすことだよ。と
意外とその一言で吹っ切れて行動に移せる人が私の周りにはいた。
私自身もその言葉が、自分で塾を始めたきっかけの一つだと思う。
数学の問題を解く時には論理的に。もちろん英語は言語の中で論理的に出来上がった言葉であるから、英語の学習の時も論理的思考が必要だと気付いたのは恥ずかしながら、大学を卒業してからだ。
しかし、なぜか、思考については論理的に考えようとしない。人間は感情があるから、などと言っている人もいるが、果たしてそうであろうか。
科学が神の存在を否定したかのように見えているが、私はそうは思っていない。
何かがないことを証明するのは、とても困難であるから。いわゆる悪魔の証明。
実際に世の中のかつて怪奇現象などと言われ騒がれていたものが、すべて物理現象として解明されたかというとそうでもない。
実際にヒトゲノムが解明されたが、いまだ一人の人間すら作ることもできていない。
でもだからこそ、この世界は面白く、リミットがあるからこそ、私たちは今を生きていられるのだ。
何かを考えないことも、大切だが、とことん考えてみてはどうかと思っている。
この内容を書き連ねたのも理由は一つ。
このスタンスで、今日と明日をかけて、小池龍之介氏の「考えない練習」を拝読してみようと思う。
自分が思うものと少し異なっているタイトルの本を読むのもおもしろい。
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